桂文枝、桂ざこばさんと“キスした”思い出明かす 「無骨なイメージがあったが…」

桂文枝が、12日に訃報が伝えられた桂ざこばさんを追悼。上方落語協会の会長時代の「忘れられない」思い出について振り返っている。

桂文枝

落語家・桂文枝が13日、Ameba公式ブログを更新。12日にぜんそくのため亡くなった桂ざこばさんとの思い出を明かして追悼した。


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■2004年に協会に復帰

ざこばさんは、尊敬していた兄弟子の故・桂枝雀さんが批判されたことに怒り、1994年に弟子とともに上方落語協会を脱退。

2003年に同協会の会長に就任した文枝がざこばさんを説得したことを受け、2004年に同協会に復帰し、文枝をサポートしていた。

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■訃報に「言葉を失いました」

現在、東京での高座に出演している文枝は、訃報が伝えられた12日夕に更新したブログで、出番の直前に弟子からの電話でざこばさんの訃報を知らされ、「あまりに突然のことで、言葉を失いました」と吐露。

「繁昌亭を作るときに、協会を離れていたざこば師に戻ってもらうように頼んだこととか、いろんなことが思い出されて。じつは本当にいろんなことがありました。涙がこみ上げてきて、鏡を見ると目が真っ赤」などとつづり、ざこばさんを思い浮かべながら高座を終えたことを明かしていた。

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■「忘れられない思い出」も

この日は、ざこばさんの協会復帰が決まった際に、笑福亭鶴瓶らと一緒に笑顔で祝杯を挙げている写真を投稿。

ざこばさんについて「型破りな、情のある、回転の速い芸人さんだった。もう2度と現れない、破格の芸人さんに出会えて幸せだった」と振り返る。

さらに、「忘れられないことがある」と、協会が主催する恒例のファン感謝イベント「彦八まつり」での思い出にも言及した。

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■「不思議な縁があった」